メガネのはなし。

こんばんは。院長の増田です。

先週の半ばから、ヒノキの花粉が飛び始めました。

 

これまでは、黄砂、PM2.5による症状が目立っていましたが、花粉のアレルギー症状(鼻炎、目のかゆみ、頭重感)を訴える方が増えています。

アレルギー症状に対する反応と、それに伴う免疫力の低下で、ぼうこう炎など、2次的な症状も併発して来院される方もいました。

 

アレルギー症状を悪化させないために、自宅でできる自己治療の方法など、来院時にお伝えしています。

その他、食事療法やデトックスの方法、ライフスタイルや予算にあわせたサプリメントなどの+αのアドバイスを個別にしています。

 

継続して来院している患者さんで、1年くらい水のとり方や、食事に取り組んでいる方は、今年は花粉症の症状がない、または軽減してラク、という感想もたくさん頂いています。

 

いますぐ症状を軽減する対策をしながら、無理のない範囲で、体内の環境を整えていくことが、花粉の時期に限らず、生きる力(自然治癒力、免疫力、活力)につながっていくことを、肌で感じています。

 

アドバイスをご希望の方は、個別にご相談ください。

 

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今日は、メガネのはなしから、90分コースの一部をお伝えします。

 

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人は思い込みの世界を生きている。
思い込みは幼少期からの生き方によって作られる。




キレイなのに汚く感じるとか、なんだか嫌な感じがする、とか、
実際に汚れがどの程度か、とか、不快な物が何か、とか、明確になっていないにもかかわらず、その感覚を感じる理由はなんだろう。


人によって違いはあるけども、自分のイメージを、物や人、に投影している場合がある。

事実とは受け取る物。
思い込みは投射する物。


そう考えるとわかりやすいかもしれない。


イメージするなら、
人の頭がプロジェクターのようになっていて、さながらプロジェクションマッピングのように、目の前の現実に妄想を投射しているようなもの。

ただの白い壁に、自分の思いや妄想を投射して、ああだこうだと言っている。


これが、今自分自身、あなた自身に起きていること。


ありのままを受け取ろうとしたとき、世界はそのままの姿であなたに与えられる、
こうあってほしいという願望を世界に投射したとき、世界はその願望を投影する。

その願望の投射は、
人は優しい、と言う思い込みの元にみれば、優しさが際だった世界に見える、
人は汚い、という思い込みの元にみれば、汚さが際立った世界に見える

あなたのプロジェクターが、目の前の物や人に、こうあるべき、こうあってほしい、というフィルターをかける。



本当のところは、汚いもキレイも、優しいも厳しいも無くて、

ただ、事実があるだけ。


汚さというのは、細菌の数かもしれないし、醤油のシミかもしれないし、沁みに見えるなにかの模様かもしれない。

事実の確認をしてみよう。自分が汚いと思い込んでいるそれは実際なにものなんだろう。自分がやさしい、と思い込んでいるそれは実際、なにものなんだろう。


プロジェクターで投射する妄想は人それぞれ。
自分のセルフイメージを無意識に世界に投影していることに気がつきたい。


自然界に投影する分にはいいかもしれない、
木や土が優しく感じたり、太陽が微笑んでいるように感じたり、

けれど、それを人間に投影するとどうなるだろう。


優しくあるべきなんて妄想をかけられてしまうと、優しくないと思っている人からしたら不快でたまらないだろう。

一緒にいるだけで不愉快に感じるだろう。


もっともこうあるべきという投射をしてくる最初の人間は間違いなく両親で、
元気でいなければならないという投射、優しく育って欲しいという投射、社会不適合者になって欲しくないと言う投射(言い換えると常識にそって生きて欲しい)。

それを受けた子供は、そういったフィルターを持って育っていく。
そうして、無意識に、人に対しても「こうあるべき」という何かの生き方を投射して生きていく。


その無意識に世界に投射している自分の思い込みが、目の前の人や、社会と相容れないときに感情的な問題が起こる。


まずは、自分が投射している映像がどんなテーマで表現しているか知ること、
方法はとても簡単、現実を見ること。起こっている事実を確認すること。


「あいつが気に入らない」、とか、「許せない」とか、「ありえない」とか、「いつも我慢させられてる」とか、「迷惑だ」とか、


言っている人、それ、自分が問題を引き起こしているんですよ。
と言われて、信じられますか?


言い換えると、
自分の無意識に投射している世界観にそぐわない人間を「排除」しようとしているから、「反発」が起こるんです。

プロジェクターを使うのを止めれば、目の前の不快な出来事が自然と無くなりますよ。ということなんです。




さて、投射しているということは、投射装置が体にあると言うこと、それは体のどこにあるだろうか?

レンズ、光を屈折させる物、
そうなると、眼しか考えられない。

視神経は電気回路で映像信号を送り、脳というコンピュータが映像を編集する。

北野ブルーなんていう映像手法があったけれど、
おそらく人は、それぞれの脳の映像手法を使って世界を修飾しているのだろう。

世界の見方の癖みたいなもの。


そうすると二つの視点が見えてくる。

映像を受け取る際の処理の癖による問題(現実、他人の認識とのズレ)と
こうあってほしいという世界への願望による投射。


相手に嫌な感覚や感情を与えてしまう時は、大抵相手を望むとおりに動かそうとしている。

考えてみよう。


90分コースでは、こうした自分自身が起こしている無意識の現実について取り扱っています。


人生は、全て自分の望み通り。


気がついていない自分の望みに気つき続けること。
夢を叶え続けること。


やればやるほどに、深まり続ける幸福な道がそこにある。